春になれば

 毎年春になるとなぜだか遊びの予定が増えて、楽しいながらに体力のない私はぐったりしてしまう。春は花がたくさん咲いて陽気になるから用事をたくさん入れてしまうのかなとぼんやり思っていたが今日原因がわかった。春は私の誕生日があって、お祝いをくれたみんなに会いたくなってしまうからだ!腑に落ちた。

 そうだった、私は春生まれだった。

 誕生日の翌日に母から届いた手紙には「あなたが生まれた日に桜が満開だった」と書いてあった。毎年同じことが書かかれている気がする。それでも嬉しい。祝福されて生まれた気になれるから(事実そうだが)。

 数年前にSEVENTEENエスクプスが4月生まれのファンの「今日誕生日なの!お祝いして」コメントに「春に生まれたんだね」と返していて大層キュンとした覚えがある。「春に生まれたんだね」はただの事実の表明ではなく、祝福のニュアンスが含まれてる。春という言葉自体が持つ喜びよ。一生忘れない好きな言葉になったから、同じく4月生まれの友人の誕生日のお祝いメッセージに「春に生まれたんだね」と添えたこともある。「何それ笑」と一笑にふされた。

 お祝いメッセージをくれたみんなに「久々にご飯に行きたいね〜!」と送り5月の予定がパンパン。自分の体力を過信して予定を立ててしまうのを今年こそ辞めたい。