文庫本を抱えて部屋のすみへ

 気に入っている本ほど汚れている。今持っている本の中で一番汚れているのは近藤聡乃「ニューヨークで考え中」の1巻。信じられないくらいボロボロ。2巻以降もだいぶやばい。気に入った本は本棚に収納されている時間が短く、その分汚れリスクも高い。

 最近、江國香織の「ホリーガーデン」を読み返した。ホリーガーデンも何回も読んでいるのでボロボロだ。ピンク色の表紙が擦り切れている。本は周回ごとに感想が変わるのが面白い。今回はラストシーンにグッきた。救われる終わり方だね。

 私は物語に劇的な事件はいらないと思っている。人生が80年とか100年とかあって、その中の何年か(もしくは何日か)をパツンと切り取ったような物語が好きだ。本を閉じた後も登場人物の人生は続いていると思わせて欲しい。江國香織はそういう物語を書くから好きだ。たぶんそれは登場人物の細かい生活のディティールが書かれているからだ。ストーリーを展開させるために存在しているわけではない。紅茶を飲み、音楽を聴き、買い物をするなかに出来事があるだけだ。

 江國香織の本を読んだあとは頭の中の地の文も江國香織の文体になる。地の文のスピードがゆっくりになって、動作の一つ一つを意識する。窓を開けるだけでも、入ってくる風を感じ、外を走る自転車の音を聞き、向かいの家の木の緑をさやかに見るようになる。影響されて私も生活を細かく描写する。私の物語もまた、生活の中に存在する。