ダイラタンシー

 最近読んだ藤岡みなみの「ふやすミニマリスト」がかなり良かった。

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 図書館で借りたが、2週間で私の手から離れるのがあまりに無理だったので昨日買ってきた。「ふやすミニマリスト」では、何もない部屋に一日ひとつだけ物を持ち込む生活を100日過ごす。かなり初めの方に爪切りを持ってきたのが意外だった。100万個の物がある私の部屋を変えたいと思ってお役立ち本のイメージで手に取ったが、それ以上の生きることの喜びを教えてくれた。ここ最近ぼんやり思っていた「自分の人生を自分のものにしたい」という気持ちをこの本がはっきりした輪郭に変えた。この本で紹介されていた「モモ」も読んだ。暮らしの時間を大事にすること、これも今の私に必要なことだ。「モモ」は図書館の子供向けのコーナーにあったが、この本が必要なのは大人の方だと思う。

 面白かったので日を空けずに「ふやすミニマリスト」2周目。24日目のスマホと25日目の机のページをまるっと読み飛ばしていたことに気がついた。27日目にスマホ充電器があるのに、「スマホは最初から持っててOKなんだっけかな?」と大して疑問に思わずに読み進めてしまっていた。こういうことが本当によくある。小さい時は、同じ本なのに2回目に読んだ時に知らないストーリーがあるのはなぜだろうと真剣に疑問だった。私の不注意ではなく、魔法の力でページが増えている可能性も加味していた。おかしいなと思っても読み進められちゃう。私が知らないだけで元からそうだったんだろうなと思っている。

 これは読書に限定せず全ての物事に当てはまる。私は大体のことを疑わない。

 トリック動画のタネにも気づかないし、人が嘘をついていても言われるまで怪しいとも思わない。気づいたときには疑わなかった自分に愕然とする。なんで気づかなかったんだろう。愕然を通り越して恐怖すら覚える。

 しかし、疑わないことにも恩恵はある。私が中高の数学に曲がりなりについていけたのは、公式の意味を全く疑わなかったからだ。先生が「これこれこういう証明ができるからこの公式は成り立つのです」と言うと、意味を理解できなくても「そういうのがあるんだね」と信じられる。「意味はわからないけど、先人がそう言っているのであれば正しいのでしょう。その通りに代入します!」という感じで問題を解いていた。

 素直なのかも!

 そう言い換えることにしよう。素直なので全てを受け入れられる。素直というと途端に良い感じになる。清廉なイメージ。

 全てを受け入れられるので、とにかく影響されやすい。GW最終日にPLAN75を見て「日本はこのままじゃダメかも、私もこうなりうるのだよな」と考えて夜まで落ち込み、母に「そういう映画は見るのを控えたほうがいい」と言われてしまった。ムカデ人間3の予告を見て気持ち悪くなりご飯が食べられなくなったこともある。

 もはや最近は影響を受けることでしか自分を保っていられないような気さえする。衝撃を与えられたときだけ形を保てて、そうじゃない時間は自我がドロドロになっている。人間ダイラタンシー状態だ。そりゃそうだ。自分で考える時間が一日のうちで15分くらいしかないんだもの。暇さえあればスマホを見て、本を読んで、YouTubeを見て……。インプットしかしていない。自分で考える力がかなり衰えたと思う。とりあえずSNSを見る時間を減らすところから始めて、液体から固体になりたい。